性について

ここまで一気に吐き出してしまった。

自分で、もしかしたらそうなのかもしれないと思ってから、とにかく調べて考えて思い出してと忙しかったけど、落ち着いてみると「だからどうした」という気もする。

これが20代だったら違うのかなとも思わなくはないけど、もういい年である。

そもそも無性愛者かもしれないと思っているだけで、そうだという確信もない。

このブログが読まれることもないかもしれないけど、とにかく吐き出したかった。誰かが読んでくれるかもしれない。知ってくれるかもしれないと思ったから。

私の場合は悩んでいるとも言えず。

無性愛という確固たる定義がない以上、私の場合はこうだけど、どうなんだろう?というだけにすぎない。

 

ああ、違う。一応定義はある。

あるけど、多岐に分かれていて、私の場合はどこに属するのだろうと思った。

思って、もしかしたら違うかもしれない、けれども、否定もできないという曖昧な感じだ。

 

だって、普通に性欲はあると思う。

自分でするのも好きだし、気持ちいいと感じる。

AVとか見ても興奮するし、気持ちよさそうだと思う。

 

ただ、それが目の前の、肌に触れる現実だとすると話は違うというだけで。

私に相手がいて、その人が私にしてくれる。ということを全く想像できない。

逆に、架空の相手になら想像できるという、謎のもの。

経験があるなしの話なのか、なくても想像するものなのか。

世の中の女の子は経験をする前にどこまで想像するんだろう?

知識は得ることができる。それこそ漫画でも小説でも映画でも。それ通りに現実の男性がしてくれるものかは別として、想像は自由だ。

問題はその想像を実現する相手とどこまで想像するかだ。キスまではたいていの子は想像するらしいが、そのあとはどこまで想像するんだろう?

服を脱がされて、触られて、、、までは想像するんだろうか?

経験がなくとも最後まで想像するんだろうか?

そこまでして欲しい相手であれば、相手が芸能人でもそれは恋愛なのだろうなぁ。

 

そういえば、私の自慰は早かったのかもしれない。

周りに何歳からそういうことしてたか聞いたことはないけど、周りの女の子よりは早かった気がする。エロ本が普通に目につく環境だったし、興味もあったし。

少女漫画の甘酸っぱい恋愛より先にエロ本を読んでた気がする。

こういうのも少なからず影響しているんだと思う。

 

一時期は女の子の方が好きなのかなとも思ったけど、友達は友達だし、性の対象にはならないなと思った。女の子は正直面倒だ。

でも、だからと言って男の子が絶対的な性の対象なのかと言われるとそれもわからない。

本や映像では女性の性の対象は男性で、私は女であるからその対象は男であるという刷り込みであることは否定できない。

 

想像はできる。

空想の世界での想像はいくらでもできる。

それは積み重ねてきた知識や情報や思考だったりするからだ。

物語りに感情を移入することだってできる。恋愛を描写するものは世界にあふれているのだから、そこから学べばいい。

だから、恋愛をするとはこうなんだという理屈はわかっている。人の心の動きもわかっているけれども、それが私には働かないということだ。

 

ちなみに周りの恋愛には割と敏感だ。

危機管理かもしれないけど、察知能力はかなりいいと思う。

どうしてわかるのかと聞かれたことが何度かあるけど、独特の雰囲気というか、気配というか、女性は特に声に出る。男性は態度に出る。としか言えないけど。

とにかく巻き込まれないように発達したものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋愛ものは好きだけど

自分には恋愛経験はないけども、恋愛ものは好きだ。

漫画や小説からドラマ、映画など、恋愛に関するものに嫌悪感など感じることはない。

読むものの傾向はファンタジーが多いが、映画などは現代ものでも見る。

と、書きはしたが、恋愛をメインテーマにした日本の映画やドラマは苦手だったりする。特に自分に近いところのものは一番苦手だ。

 

学生の頃に好きだったいわゆるトレンディドラマは大人の世界で、私からは遠い世界の話だったので好きで見ていたが、今現在はあまり好きではない。それはその大人の世界が今は私と近いからだと最近気が付いた。

ファンタジーつまり、架空のものとしてとらえる恋愛は好きだけど、自分の世界と近い話は苦手なのだ。

 

同じ日本の恋愛の話でも、例えば江戸時代とか明治大正とか、時代が違うものは普通に見ていられるのだが、現代に時代が移ったとたんになんとなく嫌になる。

でも、小説や漫画などは現代の話でも普通に読める。

違いは登場人物を三次元で視認できるかできないか。そこで嫌か嫌じゃないかが分かれている気がする。

つまり、無意識に主人公を自分に置き換えた時に、相手が具現化してそこに存在しているのを認識すると、なんとなく嫌になるのだと思う。

 

でも、なんとなく嫌なだけで、恋愛ができないとは思っていない。まだ。

周りが言うようにただ単にそういう相手に巡り合っていないだけなのかもしれないということも否定はできないからだ。

 

でも年をとればとるほど恋愛することはなくなってくるだろうから、おそらくこの先恋愛はしないだろうとも思う。

 

そんな私が「無性愛者」という言葉を知って、もしかしたら自分もそれに該当するのかもしれないと思ったのは「恋バナについていけない」というワードである。

恋バナになるといつも蚊帳の外だ。

ただ聞いているだけ。

みんなのいう恋の経験がないから。

なぜ経験がないのだろう?

出会いがなかったから? いや。一定数あったと思う。

ただ恋に発展するような出会いを見つけてない。のだと思う。

という感じで、「あれ?見つけてないんじゃなくて、もしかしたら拾えてないんじゃ?」と思ったことがきっかけ。

 

周りの女の子たちが熱狂する男性アイドルに対して恋愛的な発想をしたことがそもそもない。

外見のカッコいいとかセクシーだというのはわかるけど、それがどうして熱狂するに至るのかが全然わからない。

上半身裸の姿を見ても、「きゃー」と叫ぶ気持ちがわからない。

これは男兄弟がいるからなのかなとも思ってたけど、同じく男兄弟がいる人でもそうなるということは、兄弟云々は関係ないことがわかる。

そう、思春期にも男の子の裸を見ても特に恥ずかしいとは思わなかった。見てはいけないかなとは思ったけど。自分のことも見せてはいけないなとは思ったけど、だからと言って見られたからなんだという感じだった。

 

そもそも私は異性から恋愛的な視線がこないと思っている。

隣にいても異性としてみられないだろうなと漠然と思っている。

私に女性として魅力がないからというのもあるが、今までそういう感情も視線も向けられた経験がないと思うのだ。

しかし、それは私が思っているだけで、もしかしたら、それを拾えてないだけなのかもしれない。

それは私が異性に対してそう思っているから、異性も私に対してそう思っているだろうと思っているから、なのでは?

つまり「私が」異性を恋愛的な視線で見てないのか?

 

という感じで、もしかしたら私はこの「無性愛者」というものなのかもしれないと思ったのである。

 

 

 

 

 

自分の恋愛に関するものを振り返る4

二十代後半は仕事を辞め、短期間学生に戻っていた。

その時に同世代の男女が集まったので、お姉さま方の恋愛事情をよく聞かされた。

女性の方が少し多いくらいで独身がほとんどだった。既婚者やバツイチの人など、多岐に渡っていたため、恋愛をしたことのない私にはなかなか面白い話だった。

ただ、ここでも私は聞き役で、話に参加することはほとんどなかった。経験談は話せないけど、意見は言えた。それがなかなか的確だったらしく、なぜか恋愛相談を持ち掛けられることが多かった。

当事者としての意識がないから、かなり客観的に話ができるからだろうと思った。

 

この頃に、私は恋愛を客観視してるんだなと、漠然と感じていた。

目の前に異性がいても特別に何かを感じることもないし、目の前の恋愛事情はどこか二次元的で、それこそドラマを見ている視聴者みたいな意識だった。

なので、テレビの前でああだこうだ意見を言うみたいな、そんな感じで周りの話を聞いていた。

 

この時に仲良くなった人に恋愛経験はないと伝えたところ、女性が好きなの?と聞かれた。

私は自分を女性だと認識してるし、恋愛対象は男性だと思っている。

ただ経験がないからわからないだけ。

女性から好きだと言われたらどうする?と聞かれて、好きなことは否定しないと答えた。それに私が答えられるかは別だけど。

こう答えて、ふとそれは男性にも当てはまる。好きだと言われても否定はしないが、私が答えられるかはわからない。

 

このくらいの時に、どういう相手がいいのかと母に聞かれて、背が高くて顔がよくて優しくて気が利いて行動してくれる人がいい。といったら理想が高すぎなんだと言われた。

でも、恋愛経験もないのに、どういう相手がいいかなんてわかるわけがない。

目の前に現れた人がどういう人かという判断はできるけど、それが恋愛につながることはないし、そういう人だという認識があるだけだ。

 

どこを見て「この人が好き」だと思うんだろう。

いや。私にも普通に好き嫌いはある。

顔の作りだったり、言葉使いだったり、ちょっとした気の使いようだったり。

 

次に聞かれるのはたいてい、芸能人だったら誰がいい?というものだ。

芸能人をこの話題に持ってきても意味ないと思うのだが、理想の恋人に芸能人を当てはめる人が結構いる。

でもあれはテレビの中の話で、ここにいる人じゃないじゃん。と思うのはおかしいのだろうか。

それこそただの妄想というか、理想というか。現実ではない。

そんな架空の人物を例に出してどうするのか。結局私の理想と変わらないじゃないか。

 

でも、そんな架空の人物を好きになる人もいるのも事実だ。

現実味があるだけ、恋愛の対象になりすいのだろうか?

アイドルに熱狂する人の気持ちも正直わからない。

いや、カッコいいよ。それはわかる。ただ、ポスターを見てドキドキとか、CMのセリフにドキドキとか正直意味がわからない。

自分に向けられているという勘違い。勘違いが悪いとは言わない。ただ、私にはわからない感情だというだけだ。

 

 

 

 

 

 

自分の恋愛に関するものを振り返る3

 

社会人になって異性との付き合いは全くとっていいほどなくなった。

職場は9割女性だったからだ。当然男性もいることはいたが、働いている場所にいるわけではなく、手伝いに行くといるくらいの存在になった。

二十代前半はそんな職場と家を往復するだけで終わり、恋愛なんてするような環境ではなかった。

ただ、この頃の恋愛に関するものといえば、詐欺である。

 

デート商法という詐欺の電話がこの頃流行っていたらしく、固定電話に出てみるとアンケートだと言われ、わりと長々と電話に付き合わされる。話が大体終わってくると、もっと話がしてみたいから携帯の番号を教えてくれと言われる。

なんとなく悪い気もしなかったので番号を教えると、9時以降にその人から電話がかかってくるのだ。

最初は本当にただの雑談だったのだが、言葉巧みにこちらを誘ってくる。

最終的にデートの約束を取り付けて、何やら買わせるという手口なのだ。

結末を言えば私はその話に乗らなかった。

詐欺だと気がついたのではなく、普通にその相手の言うことが不快だったからだ。

きっとマニュアルが存在しているのだろうが、本当に乗せるのがうまい。最初は私の苗字にさんをつけて話ていたのに、名前にさんになり、ちゃん呼びになり、最終的には呼び捨てで呼ばれていた。その間おそらく一時間くらいの間でである。

 

二回目の電話で聞いてもいない身の上話をし始め、東京で頑張っていて寂しいとか、年の離れた妹がいて仲がいいとか、母子家庭で育って母親を楽にさせたいとか、そんな人だったと思う。

そして、とにかくこちらを褒める。声が可愛いとか、話し方が可愛いとか。今、この電話をするために上司に隠れて電話してるとか、とにかく特別なんだと言ってくる。

「今何してたの?」という質問に、兄とテレビを見ていたと答えたら、「お兄さんと仲いいのって変じゃない?」と言い出した。

ん??あんたも仲いいんじゃなかったの??

彼の小学生の妹と、私の兄では話が違うらしい。

 

その後も彼の名前を呼んでくれと言い出し、呼ぶまでしつこく読んでと言ってくる。

呼ぶと嬉しそうに「彼女みたいだね」と言われ、正直ぞっとした。

今のどこでどうなってそう思うんだ。

という、気味の悪さでその日の電話を終了させ、その後一切電話に応じなかった。

 

そんなことがあってから数年後にそれがどうやらデート商法という、恋愛感情を利用した詐欺であると知る。

それで、名前呼びしたり、特別だと言ったりしていたのかぁ。と納得。

 

二十代前半の恋愛といえば、これしかない。

 

 

 

 

 

自分の恋愛に関するものを振り返る2

小学生から中学生になり、他の小学校の子供たちと一緒になることになって、圧倒的に情報量が増した。

そして、小学生ではあまり話題にならなかった芸能人というものが現れる。

グッズやら本やらCDやらがみんなの間に広がっていて、誰が好きなどの話に当然なる。

私も誰それが好きなど話はしていたが、それはただの好き嫌いであり、それ以上でも以下でもなかった。

雑誌を切り抜いたり、特定の人を応援したり、その人の話題だけで盛り上がるということはなかった。

それほど芸能人に興味がなかっただけというのもある。

周りは特定の芸能人が出ているテレビなど、たとえ深夜放送だろうと見逃さず見ていて、翌日にその話などをしていたが、その話題には全くのれなかった。話の輪に入るために深夜放送を見ようなどと思わなかった。

そこまでして情報を集める彼女たちをすごいなと思いつつも、どこか冷めた目で見ていたように思う。

 

そんな中、中学1年夏休みに学校をドロップアウトした私は、本の中に逃げた。

ただ、本の中の恋愛はドキドキしながら読んでいた。主人公に感情移入して胸が痛かったり泣いたりした。

この頃はとにかく二次元の恋しか知らない時期である。

漫画やアニメを中心に、小説や映画、テレビドラマ、ラジオなど、とにかく三次元のものではなく、平たいものだった。

そのうち自分でも恋愛要素の入った小説などを書くようになる。

ただ、書くのはどこか苦手だった。恋愛の実体験がないから取り入れた情報をもとに書くしかないからだ。

 

そうこうするうち高校生になる。

高校は幸いなことに普通に通いました。

ここで久しぶりに同年代の異性と過ごす時間がやってきた。でも、恋することはなかった。周りに彼氏彼女になって手をつないで帰っている姿などよく見ましたが、特に何も思わなかった。仲いいなくらいで。

 

ある日、自動車学校の先生がそういうカップルを見て「うらやましいね」と言ってきて、そうですか。と答えたことがある。

カップルを見てうらやましいと思うんだ。

というのが、正直な感想だった。

うらやましい。自分もそうなりたいと願うさま。

「うらやましくない? ああいう風になりたいと思わない?」と突っ込んで聞かれたものの、特には思わなかった。

周りにそう思えるような人物はいなかったし、積極的に異性に係わることもなったから、特別恋愛をしたいとも思っていなかった。

私に近い友達にも彼氏はいなかったので、特別おかしいこととも思わなかった。

 

高校はそんな感じで、いたって平和に何事もなく卒業した。

 

学生時代に恋愛の話を友達とほとんどしなかったなと、今振り返ればそう思う。

恋バナのようなものをしたのは放課後に、保険の先生と国語の先生と雑談した時に、先生たちの話を聞いたくらいで、同級生とはしなかった。

 

その後、社会に出ても恋はすることなく現在に至るわけであるが、社会に出てからの方が恋愛に関する話は多かったように思う。

 

 

 

 

自分の恋愛に関するものを振り返る

そもそも恋愛の経験がないので、自分ができるのかどうかがわからない。

 

私は思春期に不登校で同世代とのコミュニケーションがなかった。

加えて、男兄弟に挟まれていたので、その当時の恋愛に関する情報元は兄が借りてくる少年誌や少年漫画からであった。

思春期前に少女漫画を読む機会はあまりなかった。雑誌や漫画を借りて読むこともなんとなくしてはいけないような気がしていたからだ。

親が漫画というものに否定的だったこともある。

思春期に入ってから、やっと友達経由で男女のあれこれを知ることになる。

この頃に少女漫画を読むようになって、恋愛ものを読むようにはなった。

しかし、私が不登校になったのも、この男女のあれこれに嫌になったからだ。

 

小学の高学年には周りに「あの子が好きだ」とか「あの子が誰それを好きだ」という話が出始めてくる。思春期に突入する時期で、当然のことなのだろう。

私はあまり、そういうことを思わなかった。

あの子がカッコいい。というのはわかるけど、だからといって恥ずかしくて隣にいられないという感情がわからなかった。

小学の入学からずっと一緒にいる彼らに、ちょっと大人になったからと言って、特別な何かを感じることもなかった。

この頃に回りの恋愛事情に巻き込まれることが多くなった。

昨日まで一緒のグループで楽しくしていたのに、突然つまはじきにされた子がいて、どうしてこっちに来ないのか聞いたら、A子が好きな人B君を、C子が好きになったことが原因だという。

グループ内の力関係でC子が外に出される、いや、出ていかざるを得ない状況になったらしい。

まあ、A子がC子を嫌いになったならしょうがない。喧嘩ならともかく、ただ嫌いだという感情の間を取り持つには、小学生ではどうすることもできない。

 

そのうち、「D君が(私)ちゃんのことが好きなんだって」と、ついに私にもお鉢が回ってきた。

そのD君というのは入学以来一度も同じクラスになったことのない子で、はっきりとどんな顔なのかも知らなかった。

お昼休みに友達に教えてもらったくらいだ。

その時も、嬉しいとも恥ずかしいとも、おおよそ恋愛漫画にあるような感情は持たなかった。知らない人ということもあるし。

 

実はこの当時はそこまでも思わなかった。

アニメ映画「おもひでぽろぽろ」で小学生の頃の恋の描写がある。

あれと同じような状況だったけど、相手の子が気になるとか頬を染めるとか、ましてやふわふわした気持ちにはならなかったなと、振り返って思い出して、それはなかったと思ったのだ。

 

この時のD君の話がどうなったのか、結局私は知らないままである。

本当に私のことが好きだったのか、ただの噂だったのか、真相は誰も教えてはくれなかった。からかわれもしなかったように思う。

ただ、私がD君に興味がないとわかったことが重要だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら無性愛者なのかもしれない

つい最近、「無性愛者」という言葉を見た。

何の事だろうとちょっとだけ調べてみた。

一般定義としては、相手に性的魅力を感じない。関心や欲求が少ないあるいは無い人のことを言うらしい。

ただ、ものすごく多岐にわたっていて、一概には言えないらしい。

Wikipediaでもかなり多岐にわたっていて、正解はない模様。

アセクシュアルとも言うらしく、検索をかけると色々と出てくる。

それらを読んでてふと、あれ?これって自分にも当てはまるのでは?と思った。

思い返してみれば、異性を好きになったことがない。

ここでいう、「好き」は恋愛的な好きである。

初恋はあった。小学生の時。でも、それは恋に恋する時期のもので、異性として好きだったのかと聞かれると自信がない。

その後、中学、高校、社会人になって、今現在まで、そういえば異性を好きになったことがない。意識したこともない。

 

学生時代友達との会話で「彼氏作らないの?」という言葉に違和感があった。

彼氏って作るものなんだ。でも、どうやって??

「好きになりそうな人と付き合えばいいじゃん」

好きになりそうな人ってどうやって判断するの??

「いいなと思った人と、手をつなぎたいかとか、キスをしたいかとか」

いいなと思う人とは??

そもそも付き合うって恋人関係になってからするんじゃないの??

 

という感じで、恋愛を小学生からやり直せと言われた。

そもそも経験がないからわからないんじゃないかと。

確かにその通り。経験がないから恋愛がどういうものかわからない。一理ある。

多感な思春期に不登校で外界との接触がなかったことも影響しているだろう。

社会に出てからも仕事と家の往復で、会社で近い年の子がいなかったせいで、友達を作ることもなく、女ばかりの職場で年の近い異性もいなかった。

学生時代の友達とはほとんど連絡もとってなかったしで、出会い自体がなかった。

 

年の近い異性との接点が生まれたのは、周りが結婚を意識し始める頃に、何度か誘われた合コンくらい。

そこでも特に何もなかった。

目の前に並んだ人たちが、こちら側を見てくる姿に、値踏みしてるんだとしか思わなかった。それがものすごく印象が悪い。

この中からいいなと思う人ってどうやって見つけるんだろう。

会話の合う人。趣味の合う人。気の合う人。見た目の好み。高収入?

連絡先交換したとしても、それで終わり。

まあ、私が魅力的ではないという欠点もある。

なので余計に遠ざかる。

 

二十代前半に一度だけ、当時のSNSみたいなものでやり取りしていた人に、会おうと言われて会ったことがあった。

会うまでものすごくドキドキして、緊張してたけど、いざ会ったらすっと落ち着いて、冷静に相手を分析してた。

会った彼に「昨日までインフルエンザで寝込んでた」と言われて、「大丈夫?」ととりあえず口にしたけど、心の中は「は?うつったらどうするんだ。明日も仕事なんだけど!」っていう、この人常識ないわっていう印象で終わった。

そして帰りにちょっと高そうな香水をもらって、途方にくれた。初対面でプレゼントに香水は重い。私はそう思った。これをくれる意味はなんだろう?

相談した母に「相手はデートのつもりだったんじゃないの?」と言われて、え?って思った。それは付き合ってからするものじゃないの?と思ってたからだ。

この人とはそれこそ話の合う人で気の合う人で、ものすごくいい人だと思ってた。

でも、会ったとたんに冷めてしまった。

見た目が悪いわけでもなかったし、ちょっと頼りない感じだったけど、嫌うほどの人ではなかった。でも相手が恋愛感情を持っているのかもと思った瞬間に、ありえないと思った。

結局会ったのををきっかけにして連絡が遠くなって、自然消滅した。

 

この時はっきりと嫌悪感があったのは間違いない。

”香水”なんて所有物にされるみたいで嫌だとはっきり思ったから。

でも、香水に嫌悪があっただけで、恋愛にあったとは思ってなかった。